行ったとことか備忘録

閲覧ありがとうございます。都内の散策から旅行で訪れた地方など、これまで行ったところにまつわるスクラップブック的なかんじです。

「軍艦島」上陸体験

中学1年の時、近所の図書館で小林伸一郎氏の写真集『NO MAN’S LAND 軍艦島』を見て衝撃を受けたことをよく覚えている。

その本に収められていたのは、風光明媚な絶景でも、癒しの動物でも、日常を切り取ったスナップ写真でもなかったからだ。かつて多くの人々がひしめき合い暮らしていたというたしかな生活の気配が残りつつ、静かに朽ちてゆくのを待つ人工海上都市の姿。それまで見たことのない世界だった。廃墟に興味を持つきかっかけとなった出来事である。

それからかれこれ10年以上経ち、自分の中で憧れというか神格化された場所になりつつあって、そんなに気軽に訪れていいのだろうか、、、という謎の葛藤の末、やっぱり1度本物を見たいという気持ちが優ってしまった。そんなわけで、軍艦島上陸ツアーに参加すべく長崎への旅行を決めたのだった。

 

2泊3日の長崎旅行。初日はのんびり島原を観光。2日目は池島を散策。池島については別の記事にまとめたのでよろしかったらどうぞ。

 

tekuteku47.hatenablog.com

 

そして最終日。いよいよ軍艦島上陸ツアー当日である。

天候によっては上陸できないこともままあるそうで、それだけが心配だっだのだけれど、案内の方曰く年に2回あるかないかくらい上陸に適した日だったそう。

軍艦島へ行く前に高島へ立ち寄り資料館を見学。立派な軍艦島の模型が印象的だった。

 

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高島を後にし、再びフェリーへ乗船。船酔いを警戒してあらかじめ酔い止めを服用していたけれど、波は穏やかで全く心配はなかった。

にわかに乗客がざわつきはじめる。ついに見えてきた!

 

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 テンションが上がってひたすらシャッターを押しまくる。(結果見直してみると同じような写真ばかりに、、、)

 

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現存する端島神社の祠。いまもひっそりと高台から島を見守っているようだった。

 

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上陸後は要所要所で案内の方の説明を聞きながら整備された通路に沿って島内(というほどまでは内部入っていないけれど)を見学。

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貯炭ベルトコンベアの支柱。

 

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7階建ての鉱員住宅アパート30号棟(右)と31号棟(左)。日本初の鉄筋コンクリート造りアパートで、31号棟には共同浴場や郵便局があったそう。2階部分を貫通するように石炭採掘時に出た捨石(ボタ)を捨てるためのベルトコンベアが通っていたらしい。

 

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右奥に見えている白い建物は、夜間の航行の妨げにならないよう設置された肥前端島灯台

 

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町立端島小中学校。小中合わせて750名ほどの生徒が在籍していたそう。子供たちの賑やかな声で溢れていただろうかつての学び舎は、がらんどうな抜け殻となり静かに佇んでいた。窓越しに向こうの青空が見えるのがしみじみとよい。

 

小さくも圧倒的な存在感を放つその海上都市は、役割を終えてひっそりと着実に朽ちていっていた。けれど後世に遺そうと活動してくれている方々のおかげで、私はこうして長年の憧れであった軍艦島の地を踏み自分の目でその姿を見ることができたのだ。

10年以上前に邂逅した「誰もいない島」。いまでは観光スポットとしてツアーが組まれ、誰でも容易にアクセスが可能になった。住民が去り廃墟となった今もなお、人々を惹きつけてやまない存在となっているようだった。

 

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 ツアー参加中は目の前の光景に圧倒されて、感動やら興奮やらであっという間に終了したのであった。 あっという間だったし、私が見られたのはほんの一端だけれど、そこにある独特な空気とか凄みのようなものを肌にひしひしと感じることができた。この体験は私の平凡な人生をささやかに、されど確実に豊かなものにしてくれたように思う。

 

気軽に旅行へ行くことが難しくなってしまった現在、時々長崎旅行で訪れた池島と軍艦島で目の当たりにした、かつて炭鉱で栄え日本の近代化を支えてきた現場の「その後」の姿を思い出す。そして同時に思い浮かべる言葉がある。

”かたちあるものはいつか消える。かたちないものだって、いつかは消えていく。残るのは記憶だけだ。”(村上春樹『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』)

 

失われてしまう前に、この記憶が薄れてしまう前に再び訪れることができたらいいと切に願う。